Verwandlungen 魔術的変容

 

 

ドイツ・ロマン派には、メランコリー礼賛的な要素はあまりない。ピクチャレスク崇高美 鍵的な要素もそれほど目だっては見られない。崇高美学的なものはドイツ・ロマン派においては寓話的な小説作品などの中に観念としてとりこまれている様相が強いようだ。フランス革命の運動に触発された、今から見れば健全かつ無邪気なナショナリズムに基づいて、中世のドイツの森に帰れというようなことを言う。ルソーが「自然に帰れ」と言ったのとほぼ時おなじくして、自然への回帰というのをドイツ・ロマン派は綱領のひとつとして掲げるのだが、そこでいう自然への回帰とは、田園の生を堪能することもさることながら、小暗い深い渓谷に咲くひともとの花とか、峨々たる山岳の頂きとか、底知れぬ大地の亀裂の奥深くに眠る神秘とかに相対することを通して、この世界なるものの本質に出会うことへとむしろ傾斜するものだった。不思議な運命に導かれて森の中へさまよいこんでゆくと神秘の泉があってそこに青い花が咲いているとか、あるいは鉱山の洞窟のなかへひたすら降りてゆくと底の底に神秘の鉱石が見出されるとか―そこで見出されるものは有機的統合体としての世界の真実であって、その真実の認識に出会うためには、高いところにのぼったり暗いところへもぐったり深いところへ降りていったりしなくてはならず、そういう「試練」を経ることでやがて世界全体の構造を感知し、そこで感知された世界と同一化するに至る。いわば「魔笛」的、薔薇十字的な秘教主義、ないし神秘主義であって、かつての神秘主義者たち、つまり中世までの神秘神学者が神を観想し、観想することで神とひとつになろうとしたのと基本的にあまり変わりがない。神秘的合一 unio mystica がどこかでなお目的とされつつ、合一の相手がかつては神だったのが「自然」に変わったわけだった。近代になって神というものが、スッパリいなくなったわけではないにせよ棚上げされた―いわば徳川将軍時代の天皇のように棚上げされたために、かわって自然なるものが格上げされて合一の対象になったのである。 Deutsche Romantik におけるこの「自然」は、ことにノヴァリスなどにおいては形象としては相当に山岳的で、崇高論およびピクチュアレスク誕生を招来するに預かって力あったアルプス・グランドツアーなど実際のアウトドア活動ブームから継承された部分は確かに大きくはあろうものの、何といっても最終的には神と同じく観照の対象として構築された側面が濃かった。実際、「近年の森林史の研究によって、ドイツ・ロマン派が描き出すことを好んだ鬱蒼とした森、深く暗いゲルマンの森などと呼べるような代物は、当時のドイツ、それどころかイギリスやフランスをも含めたヨーロッパ全域において、ほんの一部を除いてはほとんど存在しなかっただろうという、驚くべき事実が明らかにされている」(高橋吉文「乖離する音」北海道大学国際広報メディア研究科・言語文化部研究報告叢書54『聴くことの時代』所収、2003)そうであって、かつロマン派の寓話小説にはけっこう「夢オチ」なども多く、彼らが「自然へ帰れ」とか「ドイツの森へ帰れ」とか言うときには、それは何も実際に山登りの支度をして人跡未踏の森を歩けというわけではなくて、あくまでも、相対すべき太古の大自然なるものを理念として観想せよというに近かった。回帰すべき理念としての自然、あるいはそれを体現するものとしての一掬の青い花の咲きよう、そうしたものを描出することによっていわば世界を伝道することが、ドイツ・ロマン派ムーヴメントの綱領のひとつであったわけだ。
   一方でドイツ・ロマン派には魔術 Magie への傾斜がかなり濃厚に見られる。小暗い森の中に咲く一輪の青い花を見ることで有機的統合体としての世界全体を感知し、それと合一するためには、確かに知覚における大々的な魔術的変容が必要でもあろう。ふたたび A・クラウスを引く。

(……)躁病性の根本気分もまた、攻撃性や陽気さのような独特の情動体制によって規定されうる。気分と情動の厳密な区分を行うことはできないにしても(……)自己関係、世界関係全体の《魔術的な》変容が情動において特徴的であることから、それを狭い意味での気分から区別することは正当である。精神病性の情動における世界内存在の魔術的な変容はとりわけいろいろな知覚錯誤や一面的な意味づけを引き起し、それらが循環過程の形で妄想内容に裏づけを与える。うつ病性の内容と躁病的=空想的な内容が知覚されたものに根をおいている点が、それらの内容に主観的明証性と動かし難い説得性を与えていることも特記しておきたい。われわれの視点での躁うつ病における自己関係と世界関係の魔術的な全面的変容に相当するのが、ヤンツァーリク(一九五九年)がこれらの精神病について指摘した感覚印象的な知覚様態の優位性であって、彼は感覚印象性知覚の出現を精神的力動の障碍に帰している。魔術的な全面的変容は、論証的世界関係において把握された(自然的=)整合性が次第に退却し魔術的な諸連関によって置換されるということを意味している。つまり情動の増強とともに、予感や懸念、希望および願望の定立的な意識が消滅し、換言すればそれらがそれら本来の予期としての意識状態を喪失し、予期されたものがすでに起った、あるいはまさに起りつつある事実であるかのように世界ないし自己の身体の変容にさいして知覚される。

(『躁うつ病と対人行動―実存分析と役割分析』岡本進訳、みすず書房、1983、p.175)

この箇所ではクラウスはふたたび、躁病が発現してしまった状態について述べているのではあるが、これまたいわゆる双極Ⅱ型の軽躁状態、元気で生産的な状態においても同様な様相は観察される―つまり世界認識の形式において共通するものがある。「論証的世界関係において把握された」あるいは把握されるべき世界の「整合性が退却し、魔術的な諸連関によって置換されることを意味する」魔術的変容には、当然のように知覚の変容が関ってくる。「感覚印象的な知覚様態が優位を占める」―視聴覚、触覚、味覚等、五感の知覚が、まんべんなさ―一般的な意味でのまんべんなさを失って、一部が突出するかたちになり、局部的な過敏さと、他の部分における無感覚が同居することで、世界像を一面的に織り上げ、みずからの同一化対象としてふさわしく作りなおすということが行われるのである。「古今東西の世界におけるあらゆる文化的現象とその変遷の歴史とを、メランコリーという一語によってひとつの大きな流れとして把握できる……世界は昔からずっとメランコリーに支配されているのだ」などと仮に考えるとしたら、そこにはその種の「世界像を一面的に織り上げ」ようとする魔術的変容の力が大いに働いているのである。「17世紀以降の西洋文化をピクチュアレスク‐崇高美学の柱ひとつで読み解く」高山宏的姿勢なども若干それに類するところがあるかもしれない。
   世界の魔術的変容という様相は鬱の相においても、ネガティヴかつ退縮的な形で観察されるが、躁鬱いずれにしても、Manisch-depressiver における世界の変容はあくまでも「変容」であって「創出」ではない、つまり「変容」する前の元ネタというものが存在する―つまり世界観は根本的に実際の知覚に強固に基づいている、すなわち、いかなる形でか知覚されたその対象の存在に基づいている。知覚された、あるいは経験的に蓄積された種々のことがら―オリジナルデータと言ってもいいが、それを魔術的に結合させることによって世界の構造なりその真実なりを一望するという営みが、しかしそもそもどこまで古く遡った昔から営々と営まれ続けてきたか、考えようによっては神話の昔からすでにそうであったと言えないこともない。上の引用では「魔術的」というのは、ほとんどクラウスの言う「妄想的」というのに近い、どちらかといえばネガティヴな価値づけで用いられているタームだが、ごく最近まで―つまり近代初期・中期に至るまで「魔術」ないし「魔術的」というのは基本的にポジティヴな価値づけを持っていた。例えばライムンドゥス・ルルスなどという13世紀の人あたりからして、善とか意志とか愛とかそういうもっぱら神学的な重要な概念を図表にして、いろいろに組み合わせるとほうら世界にこのようにものごとが配置されていますという、それはまさしく魔術的な結合術、ars combinatoria だったわけだが、ルルスはむろんこの「魔術的結合」を意識的にやっていて、その結合によって「世界の変容」をもくろんでいたわけでは別にない。当時はそうした世界観はあくまでも「論証的世界関係において把握された」ものとして考えられ、「魔術的な諸連関によって置換された」妄想的なそれだとは一般には(必ずしも)考えられはしなかった、というよりそれはあからさまに魔術であって、魔術とは論証的 logisch なものだったのだ。
   世界の魔術的変容がメランコリカーの特質のひとつであるということを意識してかせずにか、メランコリック・ロマンティストたちは英国発の感覚論・経験論哲学を背景にみずからの知覚変容に積極的にいそしんだ。崇高なものを前にして視聴覚を極限までぎりぎり痛めつけ、あるかなきかの振幅を前にセンサーのスペックを可能な限り上げ、ズーム機能と特殊な歪み処理機能を搭載して一輪の花に世界を見る練習をした。「土星の人は土星に合った仕事をするのがよろしい」というフィチーノの教えはなお遺憾なく守られ続けていた。


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