80年代的軽躁状態について―痙攣的突破キッズ

 

 

Manisch-depressiverにおいては、世界をいかに魔術的に変容させようとも、変容したその世界はあくまでも、かつて知覚され経験されたその知覚経験に基づいている―すなわち、知覚された対象物の存在、それが存在するということに強固に基づいているということを別枠で述べた。 Manisch-depressiver つまりここで言うメランコリカーはあくまでもオリジナル・データとしての現世に固着しており、その固着によって己を保っている。そしてその自己を「手放さない、手放せない」(内海健、同下対談より)、つまり、世界というものの根本的な存在性を手放すことが彼にはない。だから、かりに彼が、世界などというものはいっさいまぼろしにすぎないと主張したり、世界はすでに滅びているんだと主張したり、おれはこの世界という枠など打ち破ってどこまでも行くのだと叫んだりしたとしても、それはそういうことを主張する内的姿勢 innere Haltung と同一化しているのであり、「全的にまぼろしであるような姿」とか「すでに滅びている姿」とかをこの世界に魔術的に付与することを通して、むしろ現世と同一化する願望を欺瞞的に成就させているのであって、彼自身が世界の枠をのりこえて遠くまで飛んでいると確信しても、それは「枠をのりこえたところの世界」へとこの世界が魔術的に変容しているにすぎず、所詮はお釈迦さまの手の平からとびだせない孫悟空であるという話にもなる。実際この「自己自身ののりこえがたさ」「己れをのりこえることの不可能」が、躁鬱性自我構造の本質をなしているというのは昔からの定説であり、テレンバッハはこの、のりこえられないにも関らずそれゆえにこそ遮二無二のりこえようとする躁転期の衝動を「痙攣的突破の衝動」と呼んでいる。そのこともすでにどこかで述べた。
   ライモンドゥス・ルルスの結合術、あるいはジョルダノ・ブルーノの記憶術、そうしたものが80年代にいわゆる思想界において妙に流行した。『哲学』という素敵な叢書があったが、「AIの哲学」という特集で、ルルスと、コメニウス、およびライプニッツがフィーチャーされたことがあった。これらはみなそれぞれの意味で世界を一望する人であるのだが、このときこの雑誌にこれらの人々がまとめてとりあげられたのは、知の数値化、データ化という文脈においてだった。「AIの哲学」という特集タイトルからわかるように、当時、コンピュータおよびそのネットワークがいよいよ本格的に始動しはじめていて、新たな情報時代の到来、といったことに世の中が沸く中で人工知能なども話題になっていた。コンピュータはいったいどこまで進化するのかというのが大きなトピックだったのである。同じ叢書で「電子聖書」という特集もあり、書物の電子アーカイヴ化とか、CD-Rom 製作などがぽつぽつと始まっていた時代。ケータイはまだなくて、メールもいわゆるパソコン通信というやつが始まって、一部の人々が面白がっていじっていたくらい、そのうちあらゆる図書が電子化され、通信ももっともっと便利になりますよねなどと言われていたけれども一般レベルではそれはまだまだ夢物語に近いもので、それからあっという間にこんなになるとは誰も考えていなかった。当時の(人文的)議論はだから主として、コンピュータがどんどん進化したとして果たして人間の脳をどこまで代替しうるのかとか、代替させたとして失われるものが大きいんじゃないかとか、要するに、人間の脳の活動なかんずく人間の活動というものを全て1と0の数字に置き換えてゆくのがどこまで至当なことであるのかというあたりを巡っていたと記憶する。
   で、ルルスら三人の人たちがとりあげられたのは、彼らが三人三様、人間の精神活動をデータ化して体系化してみようとした人たちだった、という文脈だった。人間の精神活動、その領域、その領域において転変しながら存続している世界の構造というものをオールデータ化し、プログラムとして把握する。そういう知性のありかたが、例えば古い時代にもこういう人たちにみられるという。全てを1と0で置き換えてプログラム化するということは、だからそれ自体はそんなに目新しいことじゃないんだし、それほど怯えなくても、こういう昔の偉い人たちが考えてたことを今もういちど振り返ってみるとポジティヴに有益だろうじゃあないか。コメニウスは世界のプログラム化というよりマニュアル化に先鞭をつけたという位置づけで、彼は近代的な学校制度というものをはじめて本格的に考えてその基礎を作った人で、『大教授法』というすごいタイトルの本があるけれども、つまり子供たちを一同に集めて体系的で効率のよい教育を施すにはどうすればよいか(それこそ、教養教育はいかにあるべきか)、それを徹底的にマニュアル化する。ライプニッツという人は、まあ本当にどれだけのことをやったのか私などには見当もつかないくらいだが、この文脈でとりあげられたのは普遍記号学、要するに、絶対にあらゆる条件のもとで通用する世界言語、絶対記号言語みたいなもの、いわゆる普遍記述 universal writing のシステムを考える。いかに完璧に余すところなくかつ最も効率的な情報伝達が可能であるか、それには数字を使えという。そういうあたりで80年代のこの当時たいへん面白がられた人たちであるわけだ。個別のファジーさとかそういうものをちまちま考える必要はない、普遍を実現することが肝要であろうという姿勢において彼ら三人は共通していて、ある意味、普遍コミュニケーション理論というか、グローバリズムもいいところなのだが、マシーナリストというか機械主義者というか、世界ないし宇宙というものを完全無欠の自動プログラムのようなものとして捉える。記憶術も結局はそうだが、ほうら世界はこんなふうになっていますというのは、ほうら世界はこんなふうにプログラムされていますといってそのプログラムを書いてみせるのと確かに変わらないといえば変わらない。ときどきバグることもあります的なところまで人間的に共通している。
   『哲学』叢書の諸特集に限らず、80年代には中世からルネサンスをへて近代初期、17世紀あたりまでが随所でむやみに流行していた。一方で日本の中世も並行して妙に流行していたが、それはまた少し別の文脈で、網野善彦学派がそれまで長らく唱えてきた中世民衆論が草の根流行の中心だった。日本の中世、とくに中世後期の民衆は何も農民ばっかりだったわけじゃなくて、いわゆる芸能民 鍵 をはじめとして、流浪あるいは放浪とまではいわずとも旅というものを日常とするなりわいの人々が、今日(つまり80年代)一般に考えられているよりははるかにたくさんいたのであって、そういう人たちは、誰それの領地とか荘園とかそういう地域の境界線みたいなのをあたかもなきがごとく軽々と越えて歩きながら日々を送っていたのであるという話でもって、当時はやった越境であるとか、既成の枠を越えて野ウサギのように軽やかに走れとか、まあそういう、まさしく「枠をのりこえる」文脈でもって盛んに語られていたものだった。そうした、越境とか、既成の価値観にとらわれるな的なことがらが草の根ではひっくるめて「脱構築」と総称され、またそうした軽やかに境界を越える精神性が「スキゾフレニック」であるといわれたりして、たいへんわかりやすい流行現象を呈していたのである。スキゾフレニーという言葉が流行ったのはむろんもとはドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス 分裂病と資本主義』という有名な本から来ていたわけだが、当時そのスキゾフレニーと呼ばれて流行っているものがどうにも胡散臭かったのは、要するにあまりにもわかりやすすぎるからであって、スキゾフレニックなものというものが本当にあるとしたらそれはそんなにわかりやすいはずがないというのが懐疑の大きな理由だった。そもそも、何か新しい社会的価値のようなものが生み出されたときに、それが面白いからといってわーっとタカる、つまり目新しい価値に依存して同一化しようと懸命になる行為はどう考えてもメランコリックなメンタリティの産物であって、スキゾフレニックであるはずがないと思われた。

内海 「分裂病」というのはブロイラーが一九〇八年あるいは一九一一年に命名したもので、まだ一世紀も経っていません。ところがもうすでに劇的に軽症化している。こうしたことから、この病気は近代があまねく浸透しようとするときに登場し、そして近代の終焉とともに消滅するだろうと考えたのです。単純にいえば、分裂病の病理の核心には、近代の等質空間に向き合った単独者の不安がある。この不安の強度を、主体は、おのれを二重化するというダイナミックな、あるいはアクロバティックといってもよい運動によって解消する必要があります。ところが思春期に危険なポイントがある。思春期というのは、「一者であれ」つまり「自立=自律せよ」という命法の到来する時期で、この命法は、おのれの二重化という運動と真っ向からぶつかるんですね。そこでこの命法をけなげに守り通そうとするとき、一者たらんとして皮肉にも全面的に他者に明け渡されてしまうという形で、分裂病型の解体のモメントが発動する。大まかにいえばそういった構図です。ところが今や「一者であれ」の命法が機能していない。とりわけ近代を不十分な形でしか経由していない日本では、他に先駆けてポストモダン的な小さな差異の戯れの中に病理が解消するのではないかと思うのです。もっとありていに言うなら、「ガキ」のメンタリティーに分裂病は起こらない。パラノといってもちっぽけな自我を自明の前提としてちゃちな権利主張をする程度、スキゾといっても軽やかに戯れ逃走する気楽なもので、こんなところにスキゾフレニックな深刻なモメントは発生しないでしょう。

(内海健/武村知子対談「その人の生命の根源に耳をすます―精神医学と文学における鬱とメランコリー」
『ユリイカ』04年5月号)

たいへんな言われようであるが、少なくとも80年代のスキゾ何とかは、本家のドゥルーズはともかく草の根は完全にメランコリカーのお祭りであって、「痙攣的突破の衝動」が全面的に展開していたといえる。何か越えたい、破りたい、突破したい、自分の枠を広げたいという、ほとんど痙攣的な強力な衝動、しかしながらその突破は、メランコリカーにおいて完遂されることは決してない。既存の価値は確かに突破するかもしれないが、突破した先で何を行うかといえば結局また新しい、より大きいと思える価値との同一化であって、全くいかなる価値とも同一化しないということは、少なくともその個体が個体として存続する限りはありえないのがメランコリカーというものである。ルネサンス・ヒューマニズムの時代にメランコリーの復権が行われたというのも、そこでメランコリーというもののポジティヴな価値が改めて発見/再発見された、その新たな価値にみんながわーっと寄ってたかって喜んだ、したがってそれ自体きわめてメランコリックな現象なのであって、メランコリーという概念そのものがみずから痙攣的な突破をこころみたわけだ。当時むろんスキゾフレニーという言葉は、言葉自体まだなかったわけだが、あれば、大いに使いかねなかっただろう。この突破衝動が巷のメランコリカーを大々的に襲うときに―レミングの大移動に若干似通わないこともないが―それなりにエポック・メイキングな表層文化現象が出来するので、その多彩の現象のひとつが、例えばメランコリーの復権であり、例えばピクチャレスク崇高理論であり、メランコリック・センチメンタリスティック・ロマンティシズムであり、あるいはスキゾキッズの華麗な冒険なのである。
   80年代当時、コンピュータ時代の到来にあたって近代初期の連中のことを振り返ってみたらいいじゃないかと盛んに議論されていた議論は、ではその後どうなったのかというと、よくわからない。バブルがはじけて不況が到来するとともに、なんだか雨散霧消というか、へなへなとどこかへ行ってしまったようにも見える。議論が進展する前にネット時代が来てしまったせいもあるだろう。少なくとも単なる末端ユーザーに留まる限り、ネットワークシステムを一望するなど到底不可能な、見通し不能な状態が訪れ来たったのだ。古代から近代初期にかけて数学者が同時に医者であり人文学者であったというようなことが現代はほぼありえないということとそれは並行していて、理系の知識と文系のそれが全く乖離してしまい、ことに理系のほうがあまりにも高度に専門化しすぎ、世界を一望するのに最も肝要な手段でもあり観想対象でもあるはずのネットシステムに文系の人間の手も目もおよそ届かない。ライプニッツにせよルルスにせよ、いってみれば彼らは人文学者でもあったが同時に自分でプログラムが書けたわけだ。そうしたことは現今なかなかに望み難いことである、あと10年もすればそのあたりの事情はまた変ってくるかもしれないが。言語と、社会と、人間、その三題噺が人文学なるものの本来の持ちネタだとしたら、三つのうちのどのお題もネット抜きでは語りきれない現代、人文学者は純然と人文学者であればあるほど人文学者たりえないという撞着的な自体が生じている。いまや人文学者の最も火急かつ最大の責務は理系(技術者一般を含む)と手を組むことだという想念に駆られる所以だが、それもまた痙攣的突破衝動のひとつに数えられる。

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