スペック・カルチャー
上は有名な絵であるらしい。W.Gilpin なる人の手になる、ピクチュアレスク絵画の描き方のお手本である。ただしいピクチュアレスク絵画の三つの条件は、ひとつ、ぎざぎざしている ragged こと。ひとつ、irregular であること。ひとつ、asymmetric であること――たいへんにわかりやすい。
The picturesque もまた、従来の美 the beautiful の対立概念として立ち上がった。バーク的な崇高論を絵画に応用してマニュアル化したのが the picturesque ムーヴメントだったと言っていいのだろう。バークの論自体はべつに絵画芸術に特化された論ではなく、そもそも芸術にも、視覚にも別段特化されてはいなかった。五感をまんべんなく一応公平に分析して、ただし結果的に崇高と関係の深いのはもっぱら視覚と聴覚だということになっているのはことさら不思議なことでも歪曲的なことでもないし、視聴覚のうちどちらかといえば視覚のほうに字数が多く割かれているからといって近代後期視覚偏重スペクタクル・カルチャー創生の責任を彼に負わせるのは不当だろう、アリストテレスだってその程度には視覚偏重なのであるから。崇高理論がもっぱら絵画分野に応用利用されたのは、当時まだ録音機もレコードもなかったからである。ピクチャレスク絵画が版画になって流通普及するようにその手の音響音楽が(あったとしても)流通普及するのはなかなかに困難であったろう。劇場では視聴覚をふんだんに酷使するメロドラマが展開していたらしいが、アルプスの壮絶な雪崩をまざまざと彷彿させる音響を作成するよりも絵を描くほうがはるかに簡便かつ可能性に溢れていたに違いなかった。
18世紀前半にイギリス人がみんな倦怠に陥っていたというのが事実だとすれば、その倦怠を打破していかに生の官能的活力、ヴァイタリティを再び獲得するかという問題がそこに確かに切実にあったのであって、それまで主流であった古典派的・ロココ的な女性美のまったり感の中で皆あきあきしていたところへ、崇高「美学」が峨々と聳え立つファロス的なものを突っ込んだのでアルといったような言い方を高山宏氏はするわけだが(この崇高とピクチャレスク&ラギッドネスのあたりに関しては、氏の往年の関連書籍群をよく参照されたい)、ピクチュアレスクというのはいわば、この崇高「美」をいかにして手に入れるかのマニュアルである。とがって、ぎざぎざして、明暗がくっきりして、白黒ないし高低、あるいは奥行き、そういうものの転変々化が能う限りヴィヴィッドでなくてはならない――視覚をこのうえなく強烈に刺激し酷使して、この上なく昂揚的な崇高快楽(すでに pleasure 以外の何物でもない)をもたらすところのラギッドネス――はるかな高みと、底なしの奈落。燦燦とまぶしい明るい光と、ぬばたまの闇。平和でのどかな田園と、恐るべきカタストロフ。そういう明暗対立、キアロスクーロを、額縁に入ったひとつの光景、距離を置いて眺めるべき風景として、視覚によってくくり出す。18世紀後半に大流行したカタストロフィ絵画をもってして現代にまで至る一大スペクタクル文化の登場ということになるのだが、spectacle の spec- はもちろん、見るという動詞 specio から来ているわけで、この点 speculation の spec- も同じである。スペキュレーションが「観想」と訳されるゆえんであって、「見る文化」ということを言うならば、ルネサンス期にメランコリーと並行して speculation の復権が行われたときに――というよりも『土星とメランコリー』の記述に再びのっとって言うならば中世的 vita contemplativa が vita speculativa にとって代わられたときに、すでに「見る文化」の隆盛が遺憾なく準備されていたことになる。
アグリッパはかつてメランコリーを三段階に分けた表を作ったが、その表中に「予言の領域」という項目がある。これは、それぞれの段階にある人が予言を行うとすればどのような範疇における予言をするかということだが、より厳密に言えば、予言を行うというよりも、いかなる類の予兆ヴィジョンを見るか、ということである。『ヨハネ黙示録』でも数多の予言が「私は見た」という形で記述されているが、おおむね予言というものは、何がしかのヴィジョンを見ることを介して行われるということになっていた。『メレンコリアⅠ』で左上のほうに不吉な彗星が「見え」、しずしずと高潮が迫りつつあるとも「見える」のは、『Ⅰ』が「想像力段階」すなわち第一段階のメランコリーをあらわし、その主な予言領域が「自然災害」 であるからだが、このデューラーの版画時点でカタストロフはいまだ「額縁によってくくり出されて」はいない。ヴィジョンを見ているとおぼしい女性は、屋内とも屋外とも定かには見分けがたい場所にいて、そのヴィジョンは彼女の外にあるとも内にあるとも言い難いまま彼女がspeculateする世界の一端を構成している。この彗星と洪水を額縁でくくってはっきりと外化したのがつまりピクチュアレスク絵画である。恐怖およびvitalな戦慄をもってカタストロフを見る、見てしまうという現象自体が、かつてはメランコリカーの精神に内在するできごととして捉えられていたのを、ピクチュアレスクは外部へとくくり出して一般化したのだった。
くくり出されたのは予兆的ヴィジョンにとどまらない。そこで額縁に嵌められる、イレギュラーでアシンメトリックなラギッドネスに満ちた情景――光と闇、至福と奈落、天空の高みからなだれ落ちる断崖の底、光輝と栄誉に満ちた凱歌と悲惨きわまる懲罰の呻吟、そうした極限的振幅までを内蔵する逸脱的ラギッドネスは、ルネサンス・メランコリック・ヒューマニストたちがかつてみずからの内面に見ていたところの、躁と鬱の転変のそれと等しい双極性を持つものであり、かつてのヒューマニストたちは自らの内なるそれを観想の対象として思いめぐらし speculate したものを、ピクチャレスク崇高「美学」は、彼らの内にあったそのラギッドネスそのものを、額縁にはめて見る対象とすることによって外なる spectacle へと化さしめたのである。
恐怖や苦痛、危険、破壊といったものが織り成すラギッドなスペクタクルを額縁にはめて外部へくくり出し、危険のない距離からそれをあくまでも「見る対象」として眺めることで、崇高の感覚が生じ、それは我々の自己維持の本能にアピールする――そんなふうにまとめてしまうとどうしてもそれは、いい気な対岸の火事見物、退屈した文化貴族の発明した暇つぶし頽廃美学以外の何物でもないように思える。そういう面は確かに濃厚だっただろう。だが単にそれだけの腐った遊びだったなら、そんなものがなぜ何十年にも渡って大流行したのか。面白いからか、何が面白かったのか。目新しくて刺激的だったから、自慰を覚えた猿のようにカキまくったとでもいうのか。実際、そうも言えないこともないだろう――額縁にくくり出されたのは単に恐怖と危険に満ちたカタストロフの情景だったのではなく、メランコリカーが本来その内部に抱えこんでいたラギッドネスそのものが視覚化された像であったのだと、そうして昔からずっとメランコリカーに苦と恐怖を与え続けてきた躁鬱のラギッドネスを、内部におけるスペクラシオンの対象から外部におけるスペクタクルへと変貌させることで、メランコリカーはラギッドなメランコリーの悪しき危険と死苦とを外在化させ、その危険から漸く免れて己から苦を除去し己を維持することができ、あまつさえ距離をもって己のその逸脱性を観察することでそこから喜悦を、打ち震える vital な delight さえをも獲得することができるのであって、それこそが翻ってメランコリカーの究極の自己維持の手段なのだと、そういう話だったのだと考えてみると、18世紀後半のこの「メランコリー大国」イギリスにおけるピクチュアレスクの大隆盛も非常によく理解できる、そう考えてはじめて理解できる、それは確かに倒錯ではあるがしかしvitalな切実さもそこに見てとることができる――が、が同時に、そこにまた事実、自慰的な様相が色濃く浮上しつつあることも確かである。
パソコンやデジカメ等の機材の性能をスペックと呼ぶ。特性、性能 specification の spec- もまた specio の spec- であるらしい。「目につく特徴」といったあたりから来た派生用法とおぼしいが、どんなものだろう。メランコリカーが何らかのスペクタクルを目にして、カントのいう Wohlgefallen(「しっくり感」)を覚えるとする。そのとき彼メランコリカーは、眼前の spectacle に照らし合わせて、己れの speculation の逸脱スペックを測っているに等しい。彼自身の極限的にvitalな鏡像を首尾よくそこに見ることができるかどうか――古くから決して互いに無縁ではなかったメランコリーとナルシシズムの隠微な関係がやがて次第に表面化するだろう。