書物反照 (ボルヘス・ブランショ・チェスタトン)    付・平原のメビウス効果について

 

 

マラルメによれば、世界は一冊の書物のために存在する。ブロワによれば、われわれは魔法の書物の詠歌ないし単語ないし文字である。そして、この不断に連続する書物はこの世にある唯一のものである。というより、その書物が世界である。

(ボルヘス「書物崇拝について」、『異端審問』中村健二訳、晶文社、p.179)

ボルヘスは、本質的に文学的な人物であって(これは彼が、つねに、文学によって許された理解の様式にしたがって理解しようとしているという意味だ)、彼は、この悪しき永遠性及び悪しき無限性とたたかっているが、法悦と呼ばれるあの輝かしい逆転に到るまでは、おそらくこの二つだけが、われわれの吟味しうるものである。書物とは、彼にとっては原理的に世界なのであり、世界とは一冊の書物である。まさしくこのことこそ、世界全体の意味に関して、彼を安心させることとなるようだ。なぜなら、世界全体が理性に貫かれているかどうかということについては、人は疑いを抱くことが出来るが、われわれが作る書物の場合、それも特に、たとえば探偵小説のように、まったく明確な解決がぴったりするまったくあいまいな問題として、たくみに構成された仮構物的な書物の場合、われわれには、それらが、知性に浸透され、精神というあの連結能力によって動かされていることがわかっている。だが、もし、世界が一冊の書物であれば、どんな書物もみな世界である。そしてこの無邪気な同語反復から、さまざまなおそるべき結果が惹き起こされるのである。

(モーリス・ブランショ『来るべき書物』粟津則雄訳、現代思潮社、p.146-147)

ブランショによれば、ボルヘスにあっては世界は一冊の書物である―そしてそのことが、彼を安心させる、なぜなら、書物というものが巧みに構成された人工物である限り、それらは「知性に浸透され、精神というあの連結能力によって動かされていることがわかっている」からであるという。連結能力、それはまさに、かの ars combinatoria、結合術というものを可能にするところの能力に他なるまいが、結合術という魔術は、ルネサンス以降のある時期まで、最も高い段階の精神すなわち「叡智」に属するものとされていた。そして究極かつ完全なる精神、全き叡智とは、すなわち神の謂である。聖書というものが神の書いた書物であるという考え、そしてこの唯一無二の書物は神がつくったもうひとつの書物であるところの「世界」に逐一対応しているのだという考えは、ボルヘス自身もどこかで書いているように、伝統のあるキリスト教的世界観/書物観であった。この伝統がいつどこに発し、どのように展開してきたのか、そのクロノロジカルな因果関係はなお筆者の調べ及ばぬところではあるのだが、おそらくは、聖書は聖霊が書いたものであるという教義がまずあってそれにのっとって聖書が絶対化されたというよりはむしろ、聖書という教典を絶対神聖化しようとする運動のなかで、これは神の書いた書物であるという考え方が浮上したのであろう。神が書いて人間に下げ渡した最初の「書物」は、例の、十戒を記した板だということになっており、これを神が手づから記してモーゼに下されたのだとは聖書に明記してあることである。自身が「言葉=logos」であるところの神が自身で文字を記して人間に下げ渡すという観念が、預言者が手にした一枚のタブローからやがて聖書という書物全体にいつしか拡張されていったのだともいえようが、それと同時に、書物を書くという営みそのものの地位が上昇し、書物全般が改めて権威づけられていく過程もまた並行して着々と辿られたことだろう。その過程はまた、書き言葉としてのラテン語、学問用語としてのラテン語が日常の世俗言語から切り離されて特権的な言語となっていく過程とも対応していたはずである。もちろん、字を書くということ、書記という行為が特権的で神秘的な何事かであるという考えそのものは古代エジプトにまで遡ることができるし、他方、ラテン語はその盛時は言うに及ばず現代でさえ、それを用いて日常的に会話することも大いに行われる言語であるのだけれども。

(……)ユダヤ人の聖書には、その第一章に次の有名な文が含まれている―「神光あれと言たまひければ光ありき」。主が口にしたこの命令の力は、命令の言葉に使われた文字から来ているとカバラ学者たちは推論した。六世紀ごろ、シリアまたはパレスチナで書かれた『セフェル・イェツィラー』(創造の書、の意)の明かすところによれば、万軍のエホバ、イスラエルの神にして万能の神は一から十までの基数と二十二のヘブライ文字を使って宇宙を創造したと言う。数字が天地創造の道具ないし要因たり得るという考えは、ピュタゴラスやヤンブリコスのドグマとしてすでに存在していた。天地創造において、数字の他に文字も使われたであろうという考えは、明らかに書記崇拝なる新しい信仰の始まりを示すものである。『イェツィラー』第二章第二節は次のように記している―「二十二の基本文字。神はそれらを描き、それらを彫り、それらを結び合わせ、それらを考量し、それらを入れ換え、それらを使って、存在する全てのものと存在するであろう全てのものを創った。」続いて同書は各文字の効能を明かす。空気、水、火、智恵、平安、恩寵、睡眠、怒りを支配する文字は何か。またいかなる次第で、生命を支配する文字 k{カフ}が世界の太陽、暦の水曜日、体の左耳を作ったのか。
   キリスト教徒はこうした考えをさらに徹底させた。神が一冊の書物を書いたという思想に触発されて、彼らは神が書いたのは一冊ではなく二冊であり、もう一冊は宇宙であると想像する。十七世紀の初め、フランシス・ベイコンは『学問の進歩』のなかで、神はわれわれが道を踏み外さないように二冊の本を与えて下さったと断言した。第一のもの、すなわち聖書が神の意志を明かし、被造物の書物たる第二のものが神の力を明かしているが、それはまた前者を解く鍵でもある。ベイコンは単に比喩を作ろうとしていたのではない。彼は世界が幾つかの基本形式(温度、密度、重量、色彩)に還元できること、またそれらの特定のあるものは《自然の初等教科書{アベケダリウム・ナツラエ}》、すなわち宇宙の書を書くさいに使われた一組のアルファベットを構成していると信じていた。1642年ごろ、サー・トマス・ブラウンがこの考えを確認した。「かくして、私が神性について理解を深める書物は二冊ある。一冊は書き記された神の書であるが、もう一つは、あの普遍的公共的写本とも称すべき神の{しもべ}なる自然がそれである。それは万人の眼前に茫々と拡がっているから、前者において神を見なかった者も後者のなかにそれを見出してきたのである」(『医師の崇敬』Ⅰ-16)。同じ文節にはまた次のように記されている―「要するに、あらゆる物は技巧によっている。自然は神の技巧の謂だからである。」

(同書、P177-178)

本は、ひとつの建築物としてのコンポジションであるし、コンポジションとしての庭園でもある。めくるたびに、ひとつの見開きがある、その見開きはそのつど、ひとつの新たなビューviewを提供してくれる。四角い枠でくくりだされたところのビュー、その連続で書物はできていて、めくるたびに、そのビューが目の前に開ける、ちょうど、うねうねと曲がりくねる英国式庭園の小径を散策するにつれ、カーヴを曲がるたびに庭師の巧みなわざによって配置された絶妙な展望 view が目の前に次々開けるように。書物というしろくろユートピアは、そのまま、緻密な配慮のもとに文字と版画が配置された空間としての、庭園、ないし劇場、theatrum mundi ないし博物館であり、それらはおのおの一個のコレクション=ミクロコスモスとして幾許かなりと世界全体を反映する―というような考え方には、仮にキリスト教の教義を抜きにしても、17世紀の時点ですでに無理のないものがあっただろう。とはいえ、「幾ばくか」反映するのと全的に反映するのとでは大いに異なるし、唯一無二の聖書が世界を反映するという考えが直ちに、あらゆる書物がそれぞれに世界を反映するという考えに接続してよいものでもない。「天地創造において、数字の他の文字も使われたであろうという考えは、明らかに書記崇拝なる新しい信仰の始まりを示」していると言うボルヘスは、同じエッセイにおいてまた、「音声記号を介在させず、書かれた文字から意味の直観的理解へ直行」する「黙読の技術」がやがて「驚嘆すべき結果」すなわち「目的の手段ではなく、それ自体目的であるところの書物の観念を生むことにな」(p.176)ったと言い、さらに「書物は、それがいかなるものであれ、われわれにとっては神聖なものである」とも言うのだが、「神の書物が世界を反映する」→「文字は神聖なものである」→「あらゆる書物は神聖である」というこの道筋にはもうひとつ、おそらくは「あらゆる書物は聖書を反映する」というモチーフが介在する必要があっただろう。なぜなら、神がその書物を記すさいに使った文字がかしこくも神聖なるものであったとしても、その同じ(かどうかわからない)文字を人間が使ったときにそれらも同じく神聖であるという保証はどこにもないからだ。
   神の似姿である人間の魂が、神の全き知性を不完全ながら反映するものであるとすれば、人間の書く一冊一冊の書物が神の記した全き書物をやはり不完全ながら反映するものであると考えるのは自然なことである。あらゆる書物は聖書のヴァリアントであり、そのひとつひとつに、不完全ながら聖書が反映している―そして聖書は世界の反映なのだから、あらゆる書物にはすなわち世界が(不完全ながら)反映している。そういうものである書物のコレクションは、さまざまな世界が無限に混交したところの全宇宙の反映であり、逆にいえば、宇宙は、書物の膨大なコレクションそのものの反映である―そんなふうにいうと、では、宇宙を反映する書物のコレクションを構成する一冊一冊の書物は、それぞれが宇宙を構成する一部分を反映するにすぎないようにきこえるかもしれないが、そうではないであろう。不完全であることと、部分であることは異なる。聖書が世界全体そのものを完全に反映して余すところがないのだとしたら、人間の手になる一冊の書物は、やはり世界全体そのものを、ただし不完全に反映するのであって、それは、人間の魂が神の知性の一部を反映しているのではなく全体を不完全に反映しているのと同じなのである。すなわちここでは、神と人間の関係性と、聖書と人の書の関係性とが、もうひとつ上の階梯においてそれ自体アナロジックな関係性を持っていると言えるのだが、 (1)魂は神の類比物であり、(2)あらゆる書物は聖書の類比物であり、(3)聖書は世界全体の類比物である、という三つの類比等式を介して、あらゆる書物がそれぞれに宇宙を反映することが可能になるとき、この類比等式の連環において、「全体」と「部分」との差異は消滅する。なぜならこの三つの類比的関係性は、「全体を反映する」という性質をこそ媒介として結ばれているからだ。部分しか反映していないように見えてもそれはあくまでも、全体が不完全に反映しているのがそのように見えるにすぎない、とそう考えることによってはじめて上の類比等式は互いに接続することができるのである。地上の無数の書物に、万華鏡のように聖書が、すなわち世界の総体が反映しており、同時に、世界の総体とは、地上の無数の書物がそれぞれに反映するところのそれである。そしてその総体は、膨大な書物のコレクションが反映する宇宙の総体と等しい、それは、一人ひとりの魂が反映する神の知性と、あらゆる人間の魂の総体が反映する神の知性とが疑いもなく等しいのと同じことである。世界全体を反映するという本質において、一冊の書物は、あらゆる書物を集めたコレクションの総体に等しい……
   この、最後の類比、すなわち、一冊の本と本のコレクションの間の類比関係が容易に成立しうるのは、ひとつには、書物というものの特性に関わってのことであろう。本というものは、ただ一冊の本であっても、それ自体が本質的にコレクションというものに親和的である、より厳密にいえば、一冊の本と、本のコレクションの間には、一枚の切手と切手のコレクションの間にあるよりもはるかに大きな親和性がある。合冊、つまり複数の本を一緒に綴じて一冊の本にするということは昔から普通に行われる。実際には雑誌以外の単行本が合本になされることは今はほとんどないにせよ、潜在的にはそれはいつでも可能であり、図書館の無数の本が一冊の本に綴じ合わされずにばらばらの形で収蔵されているのは、何千冊もの本を一冊の本に綴じあわせるということが物理的技術的に不可能であるしまた可能であったとしても不便なだけで意味がないから誰もそんなことを考えないだけの話であって、原理的には、図書館に収蔵されている全ての本、なんなら全世界に存在する限りの本を一冊に綴じ合わせることは常に可能である。そして、仮に綴じ合わせたならば、それはいかに巨大な質量のものであろうともやはり「一冊」と数えられることになろうし、それが「一冊」の本であるという点において、その本は、ここやかしこにある本がそれぞれ「一冊」の本であるのと変わりがないだろう。このことは切手のコレクションには生じないし、無数の花々を束ねた花束も、一個の花束であるかもしれないがあくまでも「一本の花」とは称せられまい。ところが書物に限っては、いくら集めても常に「一冊」であるということがありうる。本というものはそのような不可思議なものであるのだ。

(……)共通の性質とは次のようなことである。書物は、(マラルメにおいて=引用者註)最初から、文学におけるもっとも肝要な存在たる書物そのものと見なされているが、それはまた、「ただ単に」、或るひとつの書物でもある。この唯一の書物は、何巻かで出来ている。五巻だ、と彼は1866年に語っているし、1885年においてもなお、数部から成ると断言している。このように複数的なものであるのは何故だろうか? 自分のなかで叙述という拡がりを持つことを拒んでいるいっさいのものについて何の疑いも持ちえぬようになっていた作家の場合、このような複数性は意外なことである。成熟期に入って間もないころ、彼はいくつもの面を持つ書物を必要としたようだ。この書物の持つさまざまな面のうちのひとつは、彼が虚無と呼ぶものに向かい、別のひとつは美のほうへ向かうものであったようだ。それはちょうど、彼がのちに語るように、音楽と文芸が、「或る唯一の現象の交互に現れる二面であって、ここでは闇の方へ拡がり、かしこでは、疑いようもなくきらめいている」ようなものだ。とすれば、唯一のものの持つこの複数性が、創造的空間をさまざまな段階に応じて並べ重ねる必要から生じていることは明らかだろう。彼がこの時期に、作品のプランについて、まるですでになしおえた仕事についてでも語るように、あのように大胆に語るのは、その作品の構造について考えているからであり、この構造は、彼の精神のなかに、内容に先立って存在しているからである。
   その理由が、変わることのないもうひとつの特質となる。つまり彼は、この書物について、まず第一に、その不可欠な性質を目にしている。つまり、「建築的で計画的な、たとえ不可思議なものにせよ何か偶然の霊感を集めたものではない」、ような書物という性質である。これらの主張は後年(1885年)のものであるが、1868年からすでに、彼は、自分の著作について、それは「きわめてよく準備され段階づけられている」と語っている(他の場所では、「完全に境界を定められている」と語っている。)それは、作者が、そこから何ひとつ取り去ることが出来ず、何らかの「印象」や、思想乃至精神的傾向のごときものを、あらかじめ除き去ることも出来ぬほどなのである。(……)
「計画的、建築的、境界を定められた、段階づけられた」などという語は、いったい何を意味するのか? どれもこれも、或る計画的な志向を、著作の全体を必然的なかたちで組織することの出来る極度の思索力の作動を示している。まず最初に問題となっているのは、厳密な構成のための諸規則に従って書くという単純な配慮である。次いで、もっと入り組んだ要請が問題となる。つまり、精神の支配権と相和しそれに充分な展開を保証しうるような、厳密に考えきわめられた方法で書くということである。だが、さらに、偶然という語と、偶然を排除しようとする決意とによってあらわされたもうひとつの志向がある。(……)偶然を排除するという決意、だがこれは、現実の事物を排除し感覚的な現実に対して詩によって示される権利を拒否するという決意と一致した決意である。詩は、事物の呼びかけに答えるものではない。それは、事物を命名することによってそれらを守るべく運命づけられてはいない。それどころか逆に、詩的言語とは、「自然的事実をそのふるえ動きながらの消失とも言うべきものに置きかえる不可思議」なのである。もし言語が、その能力の果にまでおもむいて、特殊な諸現実の具体的な実質に攻撃を加え、もはや「全体のなかに存在する諸関係の総体」しか出現させないならば、偶然は書物によって阻害されることとなるであろう。そのとき、詩は、音楽がその沈黙した本質に還元されたときになるようなものになる。つまり、純粋な諸関係の前進であり展開である。つまり、純粋な動性である。//
   書物というこの書物は、他のさまざまな書物のひとつである。これは、何冊かで出来ていて、言わばそれ自身のなかでそれに固有な或る運動によって繁殖するのだが、そこでは、それがおのれをくりひろげる空間の、さまざまな深さを基準とした多様性が、必然的なかたちで成就されている。必然的な書物は、偶然から引き離されている。それは、その構造とその劃定とによって偶然を離れ去り、かくして、事物をすりへらしてそれらをそれらの不在に変えまたこの不在をさまざまな関係の純粋な運動にほかならぬ律動的な生成へ委ねるあの言語の本質を成就しているのだ。偶然を持たぬ書物とは、作者を持たぬ書物である。つまり非人称的な書物である。(……)///
   マラルメにとっては、文学以外にいかなる魔術もありえないと思われるのだが、文学は、魔術を排除するようなかたちでそれ自体と直面することによって、はじめて成就されるのである。(……)/(……)
   ドイツ・ロマン派の作家たちは、この唯一にして絶対的な書物に関して、同じような思想を表明している。たとえば、ノヴァーリスは、一冊の聖書を書くことこそ、事に通じたすべての人間が、完全な存在となるためには、どうしても迎えとらねばならぬ狂気だ、と語っている。彼は、聖書を、すべての書物の理想と名付けており、また、F・シュレーゲルは、「無限の書物、絶対的に書物であるもの、絶対的な書物、についての思想」を喚起している。そしてまた一方、ノヴァーリスは、聖書のあとを継承するために、メールヘンという詩的形式を役立てようとしている。(……)
   おそらく、マラルメが、神秘学者やドイツ・ロマン派や自然哲学流の言いかたでその考えを表明し、書物のなかに、普遍的な自然の文章による等価物を、その自然のテキストそのものを見出そうとしているような段階があるだろう。「キマイラ、それについて考えてみたということが、すでに証明しているのだ……すべての書物は、数えあげられたいくつかのくりかえし文句の融合を多かれ少なかれふくんでいることを。そればかりか―さまざまな国民がそれぞれ自国のものめかして作りあげている聖書のように―実際にはただ一冊の書物しかなくて―この世においてその掟となっていることを」。これは、彼の傾向のひとつであって、このことを否定することは出来ぬ(同様にまた、彼は「物質的に真実」であるような言語を夢想している)。
   だがしかし、作者を持たぬ書物の確立が、きわめて異なった、だが私の考えでははるかに重要な意味を持つような、もうひとつ別の段階がある。「作品は、詩人の語りながらの消失をふくんでおり、詩人は、ひとつひとつの相違のために衝突して動員状態におかれた語に主導権をゆずるのである」。(……)自然は、言葉によって、それを絶えることなく無際限に消失させるリズミックな運動のなかに置きかえられる。そして、詩人は、彼が詩的に語るという事実によって、この言葉のなかに姿を消し、唯一の先導者にして原理でありつまりは源泉であるこの言葉のなかで成就される消失そのものとなる。(……)
   書物は、作者なしに存在する。なぜなら、それは、作者が語りながら消え失せてのち初めて書かれるからである。書物は、作者が不在であり不在の場である限りにおいて、作家を必要とする。書物は、それを読む人間の固有の感覚から自由であると同様、それを書いたと覚しい誰かの名前にけがされておらずその存在から自由であって、そういう誰かに帰するものでない場合に、書物なのである。偶然的な人間―特殊な人間―が、作者として書物のなかにその位置を占めえぬとすれば、どうして彼が、読者として、そこで、重要な存在としておのれを見出すことが出来るだろう?(……)/
   今やわれわれは、ロマン主義的な伝統における書物からも、秘教的伝統における書物からも、能うかぎり遠ざかっている。そのような書物は、実体的な書物であって、永遠の真理によって実在しており、この真理を、近づきうるものではあるが秘められたかたちで暴露している。つまり、この真理に到りついた人間に、神的な秘密と存在とを所有させるような暴露なのである。マラルメは、恒久的にして現実的な真理という観念も、実体という観念も拒否している。理想にせよ、夢想にせよ、その根拠として、仮構物の確認され確立された非現実性しか持たないような何物かと関わっている。それゆえに、彼にとっての重要な問題は、文芸のごとき何ものかが実在するか、ということになる。文学はどのようにして実在するか、文学と存在の確立とのあいだには、どのような関係があるか、ということになる。マラルメが、現在からいっさいの現実性をのぞき去っていることも周知のことだ。「……いかなる現在もない。そうなのだ、―現在などは存在しないのだ。」「自分が自分自身と時を同じくしているなどとわめく者は、事情をよく知らないのである……。」また、同様の理由から、彼は、歴史的な生成のなかに、いかなる移行状態も認めない。すべては断絶であり、決裂である。「歴史においては、すべては、中断することによって現実的な力を持つのであり、流動的推移などはほとんどない。」彼の作品は、あるときは、素白で不動の潜在性のなかに凝固しており、またあるときは、―そしてこれがもっとも意味深い点なのだが―、極度の時間的な不連続性によって生起づけられ、時間上のさまざまな変化や、加速や、減速や、「断片的な停止」に委ねられている。これらは動性のまったく新しい本質をあらわすしるしであって、そこでは、日常的な持続とも永遠の恒久不変性とも無縁な、或る別の時間のごときものが告知されている。「未来や過去でありながら、現在といういつわりの見かけのもとにあって、ここでは先立ち、かしこでは思い起させる。」
   作品によって表現され、作品に含まれた、作品の内部の時間は、この二つのかたちにおいて、現在を持たぬ時間である。また、同様に、書物は、けっして、真にそこにあるものと見なされるべきではない。書物を手にとることは出来ないのである。しかしまた一方で、たしかに現在などというものがなく、現在は必然的に非現実的でいわば見かけだけの仮構的なものであるとすれば、作品が表現する時間ではなく(この時間はつねに過去か未来であり、現在の深淵を越えた飛躍である)、作品がおのれに固有の明白さのなかでおのれを確立している時間こそ、もっとも高い意味で、非現実的な作品の時間ということになるだろう。このとき、作品は、それ自身の非現実性と現在の非現実性との一致を通して、おのれがそのきらめくような集中化である闇を出発点とし、いっさいを照らし出す稲妻のような光のなかで、この両者を互いに存在させあう 鍵のである。マラルメは、現在を否定しているが、作品に対しては現在を保存しており、この現在を、存在するものが消えうせると同時に輝いているような、現存性なき断言の持つ現在と化している。(「それらが、そこで、急速な花のなかで、エーテルで出来たような透明さのうえで、輝き、死に絶えてゆく瞬間」)。書物の持つ明白さ、その朗らかな輝き、これは、書物について、それは存在し、現存していると言わねばならぬようなものだ。なぜなら、書物がなければ、何ひとつけっして現存することはないからだ。だがまた一方、書物には、現実存在のための諸条件がつねに欠けていると言わねばならぬ。つまり、それは存在しているが不可能なのである。

(ブランショ、上掲書、p.347-355)

長い引用になったが、この長い、檄文―マラルメの「書物」(とブランショが考えるもの)に対する、いつ果てるともしれず同じ緊張感をもって連綿と続きつつ読者をして持続的に一定の昂揚を保たしめるところの顕彰文は、ある意味で、ボルヘスの短編『会議』のクライマックス・シーンの叙述に似通っている。それは、魔術的に変容した世界の不可能な現前、偶然的な個物がなべてリズミックな言語のなかで消え失せゆく運動へと置き換えられ、「全体のなかで出現する関係の総体」だけがそこにあるような、そういうものとしてのただ一冊の書物としての「世界会議」なる絶対的現存を志向して届かない叙述であり、その叙述において「会議」は、「それ自身の非現実性と現在の非現実性との一致を通して、おのれがそのきらめくような集中化である闇を出発点とし、いっさいを照らし出す稲妻のような光のなかで、この両者を互いに存在させあう」ような姿を束の間かいまみせる。およそ魔術を拒絶するようには思われないボルヘスの絶対的現存と、「文学は、魔術を排除するようなかたちでそれ自体と直面することによって、はじめて成就され」「文学以外にいかなる魔術もありえない」と(ブランショによれば)考えるらしいマラルメの絶対的現存の間に、少なくともブランショの筆を介して見る限りにおいてはさして根本的な差異があるようにも思われない。マラルメの「書物」を可能ならしめるものが「或る計画的な志向を、著作の全体を必然的なかたちで組織することの出来る極度の思索力の作動」であって、それが向かうところが「全体のなかで出現する関係の総体」であるならば、それもまた、ボルヘスが信仰するところの、そしてかつて「魔術師」ルルスが発揮したところの「連結能力」ars combinatoria に他ならないだろう、また、マラルメが「そこからはるかに遠ざかって」いると言われるところのドイツ・ロマン派的書物観における秘教的理想論ないし世界の「魔術的変容」にしても、知覚に依拠した世界の「組み換え」という意味ではやはりars combinatoriaのヴァリエーションには違いないのである。ただ、それぞれの時代において、その技(魔術とか、洞察とか、文学とか)を、またそれが依拠すべきものごと(理念とか、理性とか、知覚とか)を、またそれがめざすところ(真理とか、詩とか美とかあるいは運動とか消失とか)を何と呼ぶかが異なるにすぎないのではないか? そうした差異こそがまさしく文学史を織りなしているに違いないのだが、その詳細に関する検討は他所に譲ってここでは措く。ここでは、あるひとつの「傾向」だけを問題にしている。それはブランショが上でマラルメの「傾向のひとつであって、このことを否定することは出来ぬ」と言うところの、「書物のなかに、普遍的な自然の文章による等価物を、その自然のテキストそのものを見出そうと」するような傾向であり、さらには、「世界は一冊の書物であり、一冊の書物はすべて世界である」という「無邪気な同語反復」から「さまざまな恐るべき結果が惹き起こされ」ずにはいないところの、その傾向である。

「さあ、その山に火をつけろ。」
   トワールはさっと青ざめた。ニーレンシュタインの口から、つぶやきが洩れた。
「ぼくがあんなに精魂こめてえらんだ、この本の貴重な助けがなくなったら、世界会議はやってゆけないのに」
世界会議だと?」とドン・アレハンドロが言った。彼は高笑いした。わたしはそれまで、彼の笑うのを一度も聞いたことがなかった。
   破壊には、ある種の不思議な悦びがある。火焔は輝きながらぱちぱちとはぜ、わたしたちは壁に押しつけられたり、室内に追いやられたりした。夜と灰と焼ける匂いが中庭に残った。土のうえに白じろと、いく枚かのページが燃えのこっていたのが、いまも、わたしの視界に残っている。
   年長の男に対して愛を抱く若い女の常で、ドン・アレハンドロを恋していたノラ・エルフィヨルドは、事態がよくのみこめぬまま言った。
「ドン・アレハンドロには、自分のしていることがよくわかっているのよ。」
   あくまで文学に忠実なイラーラは、警句をひねろうとした。
「数世紀ごとに、アレハンドリアの図書館は炎上しなくてはならないのだ。」
   それから、事の真相が明らかにされた。
「これから言おうとすることがわかるまでに、実に四年もかかった。わしらの企てた計画は、とてつもなく広大なもので、―いまのわしにはそれがわかるが―全世界を包含するほかないことになる。それは、荒れた農場の掘ったて小屋でがなりたてる、いかさま師の集団じゃない。世界会議は、世界の最初の瞬間と同時にはじまって、わしらが塵に帰ったときもなおつづいてゆくのだ。この世に、それが存在しない場所などはない。すなわち、会議とは、わしらがたったいま燃やした本だ。会議とは、ローマ皇帝の軍団に蹂躙されたカレドニア人たちだ。会議とは、灰の上のヨブであり、十字架上のキリストだ。会議とは、わしの土地を娼婦のために蕩尽した、あの役立たずの若造のことだ。」
   わたしはもう自分をおさえきれず、彼の言葉をさえぎった。
「ドン・アレハンドロ、ぼくも同罪です。ぼくは、いまお渡しした報告書を書き上げました。でも英国滞在をのばしにのばして、あなたのお金を投げすてたんです、ある女への愛のために。」
   ドン・アレハンドロは続ける。
「それくらいのことは、とっくに見当をつけていたよ、フェリ。会議とは、わしの牛だ。会議とは、わしが売ってしまった牛だし、もはやわしのものでない広い土地のことだ。」
   驚愕の声があがった。トワールの声だ。
「まさか、ラ・カレドニアを売ったというんじゃないでしょうね。」
   ドン・アレハンドロは静かに応える。
「ああ、売ったよ。わしにはもう、猫の額ほどの土地も残ってないんだ。しかし、わしは没落を悲しんではいない。やっと、事の実相がわかったんだからな。おそらくもう諸君に会うこともないだろう。会議はわしらを必要としていないのだから。ところで、この最後の夜、みなで本当の会議を見に行こうじゃないか。」
   彼は勝利感に酔っていた。一同は、彼の決心と信念に圧倒された。だれひとり、一瞬たりとも、彼が狂ったとは思わなかった。
   広場で、われわれはオープンの馬車に乗った。わたしが、どうにか御者台の御者のとなりに席を占めると、ドン・アレハンドロは命じた。
「親方、町を一まわりしよう。どこでも好きな所へやってくれ。」
   黒人はステップにつかまって、たえず、ほほえんでいた。彼が事態をのみこんでいたのかどうか、わたしにもわからない。
   言葉とは、共通の記憶を負おうとする象徴である。ここで、わたしが語りたいと思う記憶は、わたしだけのものである。それを共有する人びとは、みな死んでしまった。神秘主義者は、ひとつの薔薇を、接吻を、あらゆる鳥である、ひとつの鳥を、あらゆる星と太陽である、ひとつの太陽を、葡萄酒の瓶子を、庭を、あるいは性の行為を呼びおこす。しかし、これらの比喩のどれひとつとして、あの長い歓喜の夜、わたしたちが疲労と幸福感にみちて、曙光を迎えた夜を表現するために、役立ってくれるものはない。車輪と蹄の音が敷石のうえにとどろいているあいだわたしたちはほとんど口をきかなかった。(……)

(ボルヘス「会議」、『砂の本』篠田一士訳、集英社、1980、p.58-61、強調原文)

ボルヘス自身による『砂の本』の「後書き」によれば、この『会議』という作品の終結部は「チェスタトンかジョン・バンヤンの法悦境に到ることをめざしたが、あきらかに失敗した」とのことであった。バンヤンはさておき「チェスタトンの法悦境」とはおそらく『木曜の男』のそれを指すだろうが、それがどのようなものであるのかをここに書きうつすのは難しい、なぜなら文学における法悦境とはそれこそ、その作品の「全体のなかで出現する関係の総体」に他ならないからだ。『会議』におけると同じように『木曜の男』の登場人物たちも一団となって辻馬車に乗り、ひとつの大いなる「世界」を駆け巡るようなのだが、疾駆する馬車から彼らがのぞむ地平線、夕闇が訪れる直前の七色にひらめく残照、木々、そういう事物が法悦境を構成するのではなく、それらの描写によって法悦境が描写されているのではなく、その描写を含む記述において法悦境があるのであり、ボルヘスが何か「失敗した」とすればそれは、上の引用箇所において「チェスタトンの法悦境」に似たものがほんの一瞬、はかない火花のように煌めき出るもののたちまち消え失せ、決して持続しない点においてなのだろう、言い換えれば、法悦境が出現しているとおぼしい箇所を切り取って上のように引用することができてしまうという点においてなのだろう。非常に即物的に言ってみるならば『木曜の男』においては、『会議』の上の引用にあたる箇所が文庫本にして40ページ近くあるのであり、それはひとつには「あの長い歓喜の夜」に関する記述も事態の紆余曲折とともにそこには膨大に含まれているからなのだが、翻ってそれゆえにそれは単なる絶大な「歓喜の夜」ではなく絶大な「歓喜と苦悩の夜」でもあって、その夜の「長」さ―記述の行数という意味でも―ゆえにか、物語は一種の夢オチで終わりながら、醒めた後にもその至福は持続するのである。

本の中で、人がそれまで見ていた夢からさめる時には、普通は自分が眠ってしまった場所でわれに返って、椅子に腰かけたままあくびをしたり、動きがきかなくなった手足で、野原で立ち上がったりする。しかしサイムが経験したことは、もし彼に起こった出来事に、この世での意味で少しでも不思議なところがあったとすれば、心理的にそういう夢よりもはるかに奇妙な性質のものだった。なぜなら、彼は日曜の顔の前で気を失ったことはいつまでも覚えていたが、われに返ったという記憶はまったくなかったからである。彼にはただ自分がひとりの心やすく話ができる友だちと、それまでいなかの道を歩いていたことがしだいにわかって来ただけだった。その友だちもそれまでの出来事に出て来た人物で、それは赤い髪をした詩人のグレゴリーだった。ふたりはずっとまえから友だちだった気持ちでいっしょに歩いていて、何かつまらないことについて話をしているさいちゅうだった。しかしサイムのからだは不自然に身軽くて、頭は冴えかえり、それは彼がいったりしたりするどんなことにも優るものに思われた。彼は自分が何か大変な吉報を持っているような気がした、それが他のすべてのことをつまらなくして、しかしすべてのものがつまらないと同時に愛すべきものであるような感じがした。
   夜が明けて来て、空の色は何か遠慮がちなふうに透き通っていた。それは自然がはじめて黄色を使い、はじめてばら色を使ってみたのに似ていた。吹いて来る風はあまりにも気持よくて、それは空から吹いて来るよりも、どこか空にあけた穴から吹いて来るように思われた。サイムは道の両脇にもうサフロン・パークの赤煉瓦のおかしな格好をした建物が並んでいるのを見て驚いた。彼はそんなにロンドンに近いところを歩いているとは思っていなかった。彼は本能的にある一つの広い道を歩いて行って、その道には朝早く起きた小鳥が跳ねたり鳴いたりしていた。そして彼は柵で囲んだある庭のそばに来た。その庭では赤がかった金色の髪をしたグレゴリーの妹が、女の子の無意識に厳粛な表情で、朝の食事の前にライラックの花を切っていた。

(チェスタトン『木曜の男』、吉田健一訳、創元推理文庫、1960、p.232-233)

夢オチに似ながらその実、「夢だった」と言われているわけではなく、一連のものごとはあくまでも「それまでの出来事」「彼に起こった出来事」として記されていて、ただし「夢ではなかった」と言われているわけでもない。その曖昧さは『会議』の結尾においても同様なのであるけれども

わたしたちがかいま見たもののなにがしかは、今日も残っている―レコレータ墓地の赤っぽい塀、刑務所の黄色い塀、街角で組んで踊っていたふたりの男、鉄柵にかこまれた市松模様の教会の中庭、鉄道の踏切り、わたしの家、市場、底知れぬ湿った夜―だが、他のものであっても一向差支えないこうしたはかないものは、なにひとつ、いまは重要ではない。重要なのは、わたしたちが、たびたび冗談のたねにした、あの計画が、現実に、そして、ひそかに存在し、世界であり、また、わたしたち自身であることを感得した、ということである。あれ以来、長いあいだ、わたしは、大した期待もないまま、あの夜の味覚を求めつづけた。何度か、音楽や恋、そしてあやふやな記憶のなかに、それを、ふたたび取りもどしたと信じた。だが、ただ一度の暁の夢を除いては、もはやもどってくることはなかった。わたしたちが、だれにも一言も言うまいと誓ったときには、すでに土曜日の朝になっていた。
   イラーラは別として、彼らには二度と会わなかった。イラーラとも、あの話は決して口にしなかった。なにを話しても、結局のところ、冒涜の言葉になるのがオチだったろうから。1914年、ドン・アレハンドロ・グレンコウが亡くなり、モンテビデオに埋葬された。イラーラは、すでに一年前に死んでいた。
   一度だけ、リマ街でニーレンシュタインとすれちがったことがあるが、お互いに見ないふりをした。

(ボルヘス「会議」、同上、p.61-62)

―これはまた、何というトーンの違いだろうか。ボルヘスの「わたし」は「いまかいま見たもの」を、それを「かいま見」「感得した」経験をあたかも恥じるかのように結局「ただ一度の暁の夢」として片づけるように見える。しかしそれを鵜呑みにはできない、というのはボルヘスの作品の多くは「これからこの話をわたしが記述する」という形ではじまっており、『会議』もその例に漏れず、全体が回想形式をとっているがゆえに、上の結尾はそのまま作品冒頭へ循環的に接続するからである。その冒頭はこんな感じである

わたしの名はアレハンドロ・フェリ。(……)結婚歴はなく、ずっと、ひとりである。孤独に悩むことはない。自分と、自分のくせとに折り合ってゆくので精一杯だ。自分が刻々と年とってゆくのは分っている。そのまぎれもない徴候は、新奇なものに対して、もはや興味を持つことも、目をみはることもない、という事実である。多分、そうしたものには、本質的な新しさなどなにひとつなく、小心なヴァリエーションにすぎないことに気がついているからだろう。(……)
(……)そうだ、わたしひとりなのだ。この地上で、あの事件、あの会議の秘密を守る者は、もう、わたしひとり、あの思い出を共にする者は、ほかにだれもいないのだ。いまとなっては、わたしが、会議の最後のメンバーなのだ。たしかにあらゆる人がそのメンバーである。つまり、メンバーでない者は地球上にひとりもいないわけなのだが、わたしは別の意味のメンバーなのだということを知っている。そのことを知っているのだ。それが、現在、そして、未来の、無数の仲間たちとわたしとを区別するのだ。たしかに、わたしたちは1904年の2月7日に、最も神聖なものにかけて(もっとも、この地上に、なにか神聖なものがあろうか、あるいは、神聖でないものがあろうか?)、会議の歴史を絶対に洩らすまい、という誓いをたてた。しかし、今わたしがその誓いを破るのも、これまた、会議の一部なのだということも、また、同じくたしかなことなのだ。この言い方は曖昧であるが、わたしの読者となるかもしれぬ人びとの好奇心をかきたてるだろう。

(ボルヘス「会議」、同上、p.33、強調原文)

ボルヘスの法悦境の現前は、過去に一度きり起こったこととして書かれ、それが記述されている時点において現前しているのではないという形をとっている。「知っている」という、強調された現在形にもかかわらず、それを「知っ」た経験そのものは最後には「夢」へとおとしめられる。世界が一冊の書物であること、その世界が「全体のなかで出現する関係の総体」として顕現しうることを真実として「知っている」にもかかわらず、その顕現は、ボルヘスの「わたし」においては一瞬の経験ののちまたたく間に遠ざかってしまい、「知っている」という事実もその真実ももはや手の届かないところへ喪失される。ドン・アレハンドロの宣言とそれに続く馬車行の記述において「読者」には法悦境が「かいま見」えるとしても、記述者の「わたし」自身はすでに記述の時点でこの法悦境にはおらず、そこからはるかに遠ざかった場所にいる。そして「新奇なものに対して、もはや興味を持つことも、目をみはることもない」、なぜなら「そうしたものには、本質的な新しさなどなにひとつなく、小心なヴァリエーションにすぎないことに気がついている」からだという。マニッシュ・デプレッシヴァにおいて「世界」の魔術的変容が解除されたとき、牛も、花も、窓も、自分自身さえ、何ら意味をなさない無為のキップルと化す、それは法悦境を「知って」いるからこそそこから必然的に滑落する地平であるわけなのだが、そういう地平からしかこの法悦境を書くことができなかった、それが「失敗」だということなのだろう(わざと失敗したのでもあろうが)。
「世界が一冊の書物であれば、どんな書物もみな世界である」という「無邪気な同語反復から」惹き起こされるという「さまざまなおそるべき結果」について、ブランショはこう言う。

第一にこういうことがある。つまり、もはや基準となるべき境界が存在しないのだ。世界と書物とは、映し出されたそれぞれのイマージュを、永遠にまた無限に、お互いに投げあっているだけである。このきらめきの無際限な力、輝きわたる限界のないこの増殖作用こそ―これは光の錯綜する迷路であり、それにまた、けっして無に帰するものではない―、その場合、われわれが、理解したいというおのれの欲求の根底に、目まいを覚えながら見出すいっさいとなるだろう。/(……)
(……)ボルヘスは、文学の危険な尊厳さとは、われわれに、この世界に対して何者か大いなる作者を仮定させることではなく、中性的で非人格的な或る奇怪な力の接近を体験させることであるのを、よく理解している。彼は、シェイクスピアについてこんなふうに言えばいいと考えている。「彼は、彼があらゆる人々に似ているというまさしくその点をのぞいて、あらゆる人々に似ていた。」彼はあらゆる作家のうちに、ただひとりの作家を見ている。それは、カーライルとかホイットマンとかいうかけがえのない個々の作家でありながら、また何者でもない。彼は、ジョージ・ムーアやジョイスのうちにおのれの姿を認めているが―ロートレアモンやランボオの場合にもそう言えるだろう―、これらは、自分たちの書物のなかに、自分が書いたわけではない文章や形象を加えることの出来た人々である。なぜなら、本質的なものは、文学であって個人ではないからだ。また文学そのものに関して言えば、それが、個々の書物のなかに非人格的なかたちで存在する或る唯一の書物の尽きることなき一体性であり、あらゆる書物の疲れ切ったくりかえしであるということだからだ。
(……)かくして、世界は、もしそれが一冊の書物のなかに正確に移し入れられそこでくりかえされうるとすれば、いっさいの端初といっさいの終末を失うことになるだろう。そして、あらゆる人間が書きまたあらゆる人間がそこに書かれているような、有限にして限界を持たぬ球体的な量となるだろう。それはもはや世界ではなく、その可能の無限の総体のなかに崩壊した世界となるだろう。(おそらく、この崩壊こそ、おどろくべくまたいとうべき「アレフ」なのである)。

(ブランショ『来るべき書物』、同上、p.147-149)

ボルヘスの上掲書『砂の本』におさめられた同名短編に出てくる奇怪な古書は、「はじめもなければ終りもない」「どのページも最初ではなく、また、最後でもない」「でたらめの数字がうたれて」「本からページがどんどん湧き出てくるよう」で、一度ひらいたページも、そこに載っている図版も、二度と同じノンブル位置に見出すことができない。語り手の「わたし」はこの本を「悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体」だと感じて、「90万冊の本があ」るメキシコ通りの図書館の棚のなかにこの本を匿す、というより捨てるのだが、「わたし」はなおこの本のひそかな無限増殖をおそれている。「いま、わたしはメキシコ通りを通るのもいやだ」―しかし現代の私たちは(2016年時点)、いわばみんなして毎日のようにメキシコ通りを通っている。今やコンピュータ・プログラムをうまく使えばこうした「砂の本」のような本を実際に作ってしまえるだろうとは、山本貴光氏が以前よく言い言いしておられたことだが、わざわざ作らなくとも現状において実質的にインターネット上のテクストの総体がそのまますでにそのようなものである。むしろ、ある一部の業界における電子「書籍」へのあくまでの拘泥は、インターネット上で押しとどめがたく進行する「可能の無限の総体のなか」への「おどろくべくまたいとうべき」「崩壊」をなんとかくいとめようとする抵抗努力に他ならないのでもあろう。

二つの丘が似かようことはありえないが、この地上のどんな場所でも、平原というものは全く同じである。わたしは平原の道を歩んでいた。さしたる関心ももたぬまま、ここはオクラホマかテキサスか、あるいは、文人がパンパと呼ぶアルゼンチンの地方なのか、と自問していた。右にも左にも、境界は見えなかった。こうしたときの常で、エミリオ・オリーベの詩を、ゆっくりとくり返した。

   果てしなく恐ろしい大平原の真只中
   ブラジルとの境に近いところで、

それは次第に高鳴り、ひろがってゆく。
   道は平坦ではなかった。雨が落ちはじめた。(……)

(ボルヘス「疲れた男のユートピア」、『砂の本』、同上、p109-110)

このメランコロジー・サイトはそれ自体ひとつの「コレクション」であるが、もともとボルヘスの『砂の本』は、最初に授業としてメランコロジーを開講したときに、素材とすべきメランコローグのひとつとしてとある学生から提供されたものであった。より厳密にいえば、彼が提供してくれたのはこの『砂の本』のあとがきにある、次のような一文であった―「『疲れた男のユートピア』 鍵は、わたしの判断では、この本のなかで、もっとも正直、かつメランコリックな一篇だ」(p.164)。確かに、この『砂の本』のなかで『会議』がもっともマニッシュな作品であるとすれば、その対極にあるという意味で『ユートピア』はもっともデプレッシヴな作品であると言うことはできる。『会議』の「わたし」は、例の法悦境、世界会議において示された啓示とでもいうべきものが真実であると「知っている」が、同時に「新奇なものに対して、もはや興味を持つことも、目をみはることもな」く、「そうしたものには、本質的な新しさなどなにひとつなく、小心なヴァリエーションにすぎないことに気がついて」もいて、『会議』ではこの地平から、喪失された「法悦境」回想されているのだが、『疲れた男のユートピア』は、物語としては同じく回想の形式をとっているけれども、そこではもはや法悦境の回想が試みられることすらなく、この地平において見えるところの世界それ自体が「もっとも正直」に記述されているのだということだろう。
「二つの丘が似通うことはありえないが、この地上のどんな場所でも、平原というものは全く同じである」とあるが、それはおそらく「事実」に反する。この地上のどんな場所でも、どんな平原でも、よく見ればどこかが違っているのであり、砂漠でさえ、風につれて刻々と姿を変えるのであって、あまつさえ木々だの草だのが生えていたりする平原であれば、どこの平原かによってその様相はぜんぜん違うのがアニマル・プラネット的に見た地球の実態というものだし、逆に実際の地上では、二つの丘が一見似通うことはいくらでもありうる。冒頭のこの文は、「この地上のどんな場所でも平原というものは全く同じである」ということ自体を「事実」として主張しようとしているのではあるまい。これは、「この地上のどんな場所でも平原というものは全く同じである」という世界把握が成り立つ地平、すなわち、「もっとも正直」にデブレッシヴな地平においてこの物語は語られるのであるという、ひそやかな宣言であり、そういう意味ですなわち導入なのである。「地上のどんな場所でも平原というものは全く同じである」ような地平とは、要するに、平原は平原であって、平原以外の何物でもないような地平であり、プレインであるという点において全ての平原が等しなみにプレインであるという視点、そのプレインな土地に生えているのがセイタカアワダチソウであれススキであれカルカヤであれ何か「新奇な」草であれ、それらの差異に意味を見出されることはないような視点、すべての草がひとつの草の「疲れ切ったくりかえし」「小心なヴァリエーション」にすぎないと見る視点でものを語る地平である。そこでは『神学大全』であれ『ガリヴァー旅行記』であれ「まあまあ面白」い「幻想譚」のひとつにすぎず、トマス・モアの『ユートピア』の貴重な1518年バーゼル版すら「家には2000冊以上ある」「印刷本」のひとつにすぎず、それらの間の差異は、この地上のどこでも同じ平原にたまたま生えている草の名前がアワダチソウだったりキリンソウであったりする程度の意味しか持たない。そこではおそらくドン・アレハンドロの牛も、土地も、「灰の上のヨブ」も「役立たずの若造」もみな、「映し出されたそれぞれのイマージュを、永遠にまた無限に、お互いに投げあっている」「きらめきの無際限な力、輝きわたる限界のないこの増殖作用」としての「光の錯綜する迷路」の、疲弊したヴァリエーションであり、魔術が解除されたあとに空しく散乱する無為のキップルにすぎない。「道は平坦ではなかった」とあり、スペイン語の llanura が言い表すところの平原が事実どの程度にプレインなものかは知らぬが、仮に岩場などが多くあって相当な起伏があるのが常だとしても、それは問題ではなく、道が平坦であろうがなかろうが、そこが llanura と称される限りにおいて、それらはプレインに同一なのである。
   あらゆる細部、あらゆる個が、あるひとつの総体の無限の反映なのだと考えてそこに法悦境の顕現を見、至福の高揚感を覚える局面が一方であり、その一方で、あらゆる細部あらゆる個が、あるひとつの総体の無限の反映「にすぎない」と考えて失意にうちひしがれる局面もある―このことは、何なら、単に受け取りかたが違うだけである、という日常的な説明をして済ませることも全く可能なことで、言ってみれば、コップに水がちょうど半分入っているのを見て「まだ半分もある」と考えるか「あと半分しかない」と考えるか、というよく知られた心理テストに似ており、一見、何だばかばかしいと思えるようなことでもあろう。しかしながらメランコリカーにおいてこのことは決してばかばかしい些事ではなく、ふたつの世界把握を行き来するそのダイナミズムこそが彼らにとって最も切実で根幹的なスペキュレーションの構造をなしている。コップの水が「半分もある」と考える楽観と「半分しかない」と考える悲観の間の落差は、世界と己れの全面的肯定と全面的否定との間の落差とは比較にならないほどささやかなものであると見えもするが、こうした落差が一人の人間のスペキュレーション・システムにおいて交代をプログラムされているならば、その両極性の波のありかたそのものにおいては、どちらも本質的には同じなのであり、ひとつひとつの平原がみなそれぞれ固有の形で世界を反映し煌めいている、という把握と、どの平原もみな同じ平原にすぎないとする把握も、どちらも、同じ平原において得られる。そういう意味ではしかし他方で常に「道は平坦ではない」のであり、同じ平原の道を歩みながら、眼前に開けるビューは時に極度にマニッシュであり、時に極度にデプレッシヴでありうるのだ。これを「平原のメビウス効果」と呼ぶ。

「君たちに、この世界の秘密を教えてやろうか、それはわれわれがこの世界のうしろしか知らないということなんだ。われわれは何でもうしろから見て、そしてそれはひどいものに見える。あすこにあるのは一本の木ではなくて、木のうしろなんだ。あれは雲ではなくて、雲の背中なんだ。すべてのものが前かがみになって、ひとつの顔を隠しているということがわかるじゃないか。もしわれわれが前に回ることができたら―」

(チェスタトン『木曜の男』、同上、p.215)

コップ半分の水を「前」から見るか「うしろ」から見るかの違い―「こうした落差が一人の人間のスペキュレーション・システムにおいて交代をプログラムされているならば、その両極性の波のありかたそのものにおいては、どちらも本質的には同じ」であると上に述べた。こうした把握自体が、しかしそもそも「平原のメビウス効果」に包まれ、時として「おそるべき結果」を引き起こしかねないものであることは、容易に看取されよう。「この地上のどんな場所でも、メランコリックなものはみな全く同じである」―それが、メランコロジー自体が陥りかねない最もデプレッシヴで生産性のない局面に他ならない。

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